心は可能性
わたしが目にする情報はひとつひとつ、その順番も含めて、すべて流れの必要性に沿っているものだと思っています。わたしは「情報」を、現れたその位置にそのまま置いてあり、目は通しますが、自分の中に招き入れ同調し共に沈むことはありません。
同調することが必要な場合も過去にはありましたが、その場合、わたしの安定した意識の「場」の方が必ずいつも大きいのです。
そのため、同期してもわたしの意識が飲まれることは仕組み上ありません。
同調する必要があった理由は、わたしの心を使い、ネガティブな集合意識のかたまりを解放するために必要な、仕組みの中に組み込まれた情報を更新するためでした。
人がネガティブから前進するには、心が重要な鍵を握っています。
逆にいえば、心を閉ざしたり、心を自分から切り離すことが、人間をネガティブに捕らえ続ける要素となるので、人間の意識の目覚めを望まない支配層は、心と自分を共存させることを望まない人間がたくさんいる方が都合が良いと考えてきました。
心なんて邪魔だ、不必要だ、と思う人間が多ければそれだけ地球の歩みは平行線となり、それはそのうち重く沈没して、前進しようとする力の足を引っ張るようになります。
言葉の基になる意識に触れるためには、『心』を解放させていることが大切なことでもあります。
意識の世界は実体が無いと思っていますか?
その実体のない世界に触れるには、心を開くことが重要なんですよ。
意識の世界に直接触れることができるのは、あなたの心です。形のない世界に共感し、共鳴することが出来るのは、あなたの心です。
『心』は可能性を秘めています。
あなたの意識の広がりと共に、心に抱くおそれが手放され解放されていくことで、あなたという人間の可能性も共に解き放たれていきます。
これは実体のない意識の世界の、更に、仕組みのお話です。