ここのこの連絡網

そっ...と、言葉を置いていきます。( Don't think.. feel. )

健全な人体が答え

 

 

 


自分は自分、他人は他人の線引きが

『すべてはひとつ』であるという実感を得る以前にとても強いと、それがブロックとなり心を開けない理由、「おそれ」につながるよ。


勘違いしてはいけないのが

『すべてはひとつ』の状態とは、すべてが溶けて馴れ合いとなっているという意味ではないよ。

すべての個が明確に自立した状態で、それぞれの個性が自由に表現されて全体が調和する、正常な人体の生命活動のような世界のことだよ。


『すべてはひとつ』とは、ひとりの人間が健全に、ただ『生きている』『ここにいる』という状態がそれにあたる。

ついでにいえば、『健全に人間が生きている』その空間や環境も含めて、すべてが正常に運用されているという状態のこと。


どこにも機能不全に陥るような「分断」がない状態のことを指す。


それを意識的に解釈すると、すべてを認識し、すべてを受け入れられている状態のことをいい、そこには「善い・悪い」もなく『すべて』が否定されずに在る状態のことを指す。


『健全な』という意味には、肉体の軽さや、清浄さに通じるものを含んでいるがそれだけではなく、そこには『バランス』という、善悪の天秤が均衡を保っていることが最も重要な柱となる。


生命は、善悪のバランスを保ちながら、常に光に向かって前進するもの。善悪の両方を含みながら、常に良くなる方向へ向かおうとするもの。


善悪が在ること

そこに切磋琢磨し、様々な葛藤があり、魂は学びをえて成長する。


自分を、ただただ信頼してさえいれば、『自分』というものは自然と良くなろう良くなろうと前向きな活動を日々しているものなのに、『すべてはひとつ』であることを受け入れる以前の人間の思考というものは、『すべて』から分断されているため、良くなろうとする体の前向きな働きを遮断し、その作用に反発して自分を叩き日々虐めてしまう。

それは、良くなろうとする可能性の芽を刈り取っているようなもの。


それが具体的に何を意味するか、わかりますか。


あなたが普段何気なく、無意識で行っている日常の生活の中に答えはあります。


些細なところが肝心なんです。



たとえば、何度も目に入るメッセージめいた情報や、度重なるタイミングなどを、勘違いだとか、気のせいだとしてゴミのように雑に扱うことは、やめてほしいな。


度重なるタイミング、そこに実体のない存在たちの献身的な思いがどれだけ注がれているのか、一つ一つの小さな出来事にしっかり向き合い、そこに在る『心』を受け止められるよう、見えない部分に歩み寄る挑戦をしてもらいたいな。


実体のない意識の世界の学びは、

一度、物事を最小単位に細かく分解して、一つ一つの個を認識し、理解を深めることで全体像が把握できるようになります。

全体像が掴めた後、元の形に戻しますが

そこでやっと府に落ちてワカルという状態になります。


『すべてと自分はひとつ』への理解の道は、自分を最小単位に細かく分解をして、一つ一つの個を理解する視点から始まります。

『あなた』という存在は、何なのでしょうか?


それを知るために、『あなた』を2つに割って別々の人間として向き合わせることもあるんだよ。


人間てね、別けるから分かるようになるんだ。

長い分断の時代も役割があってのことなんだよ。