ここのこの連絡網

そっ...と、言葉を置いていきます。( Don't think.. feel. )

なんでもありとは

 

 

 


ここでよく使われている「なんでもあり」 という表現は、自分好みの許容範囲に限らず、常識的で簡単に容認できることだけではなく、人間が生み出した混乱や、一般的に悪と思われれるものも含まれますが、


“なんでもあり”というのは、それらの “成りたい” という自由意思を ”認める” ということ。


「なんでもあり」として制限なく膨大に生まれてきた価値観は、宇宙を含めた “自然の法則“ からあまりにも大きくはみ出たものは自然淘汰されていき、また、形が整えられて思いもよらない新たなものに変化したりもする。


あまりにも大きく ”成ったもの” は一度打ち砕かれ、精錬されて再度結晶化されていくよ。

そこで "これから" にとって “望ましいもの“ となって新たに姿を現すんだ。


「なんでもあり」 というのは、その ”作用のすべて” を『可能性の芽』として、存在することを “認める“ ということ。


ここで伝えている「なんでもあり」は、無責任や無関心とはまったく意味の違うもの。


むしろその逆で、存在するすべてを『可能性の芽』として認めること。


その “可能性の芽“ が、目的を見失って暴走したり立ち止まっていたとしても、それすらもありのまま “可能性の芽“ として見つめていくこと。


「なんでもあり」 は、何があっても決して見放さない、見捨てない、見切らない、


この世界を『諦めない』こと。


『すべて』を、ただありのまま「見つめる」ということ。

一見すると冷たいように感じるその視線の奥には、大きな『愛』があるんだよ。



この世界は、人間と同じで呼吸をしている。


常に「拡大」と「収縮」を繰り返している。


拡大とは、様々な価値観が生まれている様子を表していて

収縮とは、それらが精錬されて進化をする様子のこと。


どちらも進化の過程といえるけど、拡大は繁栄、収縮は破壊の役割がある。


だから、世界が様々な価値観で溢れかえって爆発寸前という状況は、間も無く変化がやってくるということ。現象界の変化は一番最後。だから遅いのは仕方ないけど、人々の (今を変えたくない)という思いがなかなか重たくて、何度もその "寸前" をうろうろしてきたよ。


変化を後押ししたいと思うなら

“拡大“ する作用をありのまま “認める“ ことなんだよ。


対立ではなく “認める“ という位置からは、今 “ここ“ を越えた向こう側が鮮明に見えるものなんだよ。

そこは見通しが良く、向かうべき方向が良く見える。


”認める” というのは、両目を塞ぎ、両手放しで ”すべてを受け入れる” という従順で無責任な様じゃなく、

問題とされているものがあるのなら、それらを ”ありのまま見る” という視点のこと。


向かうべき方向を明確にして、その問題とされているものに対して ”対立” ではなく、より良くしていくための『これから』に向き合っているものが、これから求められているもの。