ここのこの連絡網

そっ...と、言葉を置いていきます。( Don't think.. feel. )

今はどの現実か

 

 

 




「今」って、時間のことだと思ってる?


今何時?なら、時間のことだけど

今どこ?なら、場所のことを指している。


「今」ってなんだろうね?


自分が生きている場所や空間、瞬間のこと?


「今」が最も重要な ”位置” というのは確かだし、

「今を生きる」という言葉は、ほんとうのことでもある。


でもその言葉は、実は、誤魔化しでもあるんだよ。


誰しも「今」を生きているし、

「今」があるから、

その「今」が『未来』に繋がっているんだけど、


今は、1秒、

今は、1分、

今は、1時間、

今は、今日1日、


わたしは「意識の世界」と、

ひとくくりにして表現をしているけど、


長い間、意識の世界の ”設定” では


”この現実” の時間は、ぐるぐると同じところをループさせられて来ていたんだよ。


確かに時は進んでいるし、年齢も重ねているから、月日が過ぎていく感覚は誰もが共通して認識していたと思うけど、


人間には、毎日を生きている感覚だけを与え、


適度な報酬と、娯楽を与え、


生きている実感は、”重たいもの” がその多くを占めており、


”喜び” は、長く手にしていられない一瞬の輝きのようなものとしてあった。



その向こう側にある『ほんとうの現実』の ”仕組み” だけを利用して、その手前、2層目に「この現実」が作られていたんだ。


その2層目の ”現実” はとてもよく出来ていて、気付く者も少なかったし、その世界が今より完璧だった頃は、 ”気付き” は ”死” を意味していたよ。


2層目の ”この現実” の価値観では、

”命” を生きてさえいれば、”今を生きている” ことにはなるのだけど、


真の意味で ”今を生きている” 人は少ない。



これから向かう方向は

”この現実” は人々の気付きによって ”形” を維持できなくなり、消えていくことになっている。

役割を終える ”枠” 、クッキーの型のようなもの。


わたしは ”この現実” から人々の意識を解き放つ方向へ流れを見つめ、寄り添ってきた。


”この現実” は枠があるんだけど、その枠以外の ”すべて” の空間が、それぞれの魂が望む『ほんとうの現実』なんだよ。


”この現実” は、人々に、そのことに気付いてほしくないし、”ここ” から移行してもらいたくない。

そのせいで延長と遅延を繰り返している。

また、人々の意識も後ろ向きが多数で、それに協力をしてきている。


これらは自覚のない意識、

無意識の領域で起きていること。


消えちゃった記事、

機会があればまた向き合うよ。


わたしは人間の可能性をあきらめないよ。