ここのこの連絡網

そっ...と、言葉を置いていきます。( Don't think.. feel. )

((I'm Aquarius))

((わたしは Aquarius。『みどり』と『あお』と『透明』の世界から来ました。この世界は、みずみずしい 豊かさで 満ちあふれ、存在する すべてが『ひとつ』の『流れ』で つながっています。ひとつも とりこぼすことなく、大きいも、小さいも、わけてだてなく ひとつの豊かさで つながり、循環しているのです。

そのため、どこかに 新たな『光』が生まれると、それは 一瞬にして わたしたちの 『すべて』を かけ巡り、喜びと、祝福の波となって『すべて』を 『ひとつ』 に まとめるのです。わたしたちは、この世界の すべて と つながっています。『すべて』と『すべて』を共有して 存在しているのです。


では、あなたたちの世界でいうところの『誕生』の その逆が、この世界で どのようなものか気になりますか?


『すべて』と『すべて』を共有しているので、どこかで ひとつの 光が失われたときは、それも 一瞬にして わたしたちの 『すべて』 へと伝わっていきます。そのとき失われた 『ひとつ』の『光』の『記憶』は、同時に わたしたちの 『すべて』 へと伝えられていくのです。働きを終えた『ひとつ』の『光』は、『記憶』となってわたしたちの『すべて』へとつながり、ふたたび『すべて』を『ひとつ』として存在し続けてゆきます。

それが、わたしたちの世界です。


なにか、あなたたちの世界と違いがありますか?

わたしたちには、あなたたちの世界も 同じように感じますよ。


『心に従い』『感じるように』生きてみるとよいと思います。わたしたちの世界は、『感じる』ことが『主体』の世界でもあります。

『わたしのこと』は『あなたのこと』でもあります。

『あなた』と、この世界の『すべて』は つながっていますから。))



『誕生』の喜びと祝福、そして『消滅』という事実があるだけで、彼らの世界に「痛み」や「悲しみ」はない。

消滅と同時に、ひとつの光の記憶は すべてに伝わっていき『すべて』の一部となる。

『すべて』がそのまま『すべて』に伝わる ひとつの世界。

「痛み」は お互いを切り刻み、瞬間でその世界の「崩壊」を意味する。

輪郭を持たず『すべて』を『ひとつ』として成り立つ世界には、その概念自体がない。自分勝手もない。


輪郭のない世界は、すべてが透明で筒抜けなのよ。

もう少し突っ込んで言えば、「透明」とか「筒抜け」という表現も、あなたたちの世界の視点で解釈している。

それだけ あなたたちの世界は「不透明」なことが多く、真実を隠す「囲い」が幾重にもあるということ。


彼らの世界には『誕生』と『消滅』があるだけ。


人間は、肉体が「個」の囲いとなっている。

囲いがあるから「痛み」や「悲しみ」の意識を共有していても、 瞬間で『すべて』の「崩壊」には至らない。

あなたたちの世界は特殊な環境なのよ。

「個」を保ちながら、自らを苦しめる意識に向き合い 乗り越えようとする。

その『前進しようとする意識』は、「個」の所有するものでありながら、広く全体と共有されているものでもある。

そのため、「個」の意識の世界で起きていることは、同時に『すべて』と共有され 繋がっている。


そのことを絵空事で終わらせずに、しっかり心に刻むことだよ。


この世界は、幾重にも次元の層が重なり ひとつの「形」ある世界となっている。

あなたたちが見ているのは、すべて『結果』の世界だよ。

「物質」や「現象」は、幾重もの次元の一層一層で起きている出来事の『結果』なの。

だから『結果』ばかりに いつまでも意識を囚われていては、あなたの世界はそのままよ。


地球も それらの層をすべて削ぎ落とせば、在るのは『誕生と消滅』だけになる。

それ以外のものは、人間の意識が創造したものなのよ。


でも、地球にそれは望まれていない。

だからこそ『地球』ということね。

それだけ ここは 特別な場なのよ。

空間はここに在ってここに居ない

人間の『意識』が純化されていくと、肉体の「ミクロ組織」の振動数が早くなるんだ。

人間を構成している物質としての 最小単位の「組織」の部分は 存在感を弱め、人間を構成している「組織」以外の ≪空間≫ の部分が存在感を増していくんだよ。

だから 振動数が高まると「物質」からの影響を受けにくくなる。


つまり、

現実の 「ここ」に『在って』、「ここ」に『居ない』状態。


体感では間延びしたように「長く」感じる『時』を過ごしても、その『時』は同時に「圧縮」されていることになるから、実際には「一瞬」の『時』となる。


≪空間≫と「自分」を同期させると


物質世界と同じ『時』に 平行して存在しているわけではなくなるので、物質から受ける肉体への影響が軽くなるんだよ。


肉体の老化現象も、穏やかなものとなる。


≪空間≫を『自分』と認識すると、その「姿」からは『水』のような『透明感』を発するようになる。


分かりやすいのは『目』だよ。

目は、本質のあなたを素直に見せる、物質次元に開かれた『窓』なんだよ。


人間が次のステージで必要となってくる『感覚』と『真の前進』とは、


『同時にムジュンをしながら、進む』


言い換えると


『そこにあるすべてを越えて、進む』


『越えて』は、『認める』ということ。


『意識の前進』の方向は(←左 ・ 右→)ムジュン=二極のどちらか「一方」を、「何か」を選ぶことではなく

『左』か『右』かではなく、「左も 右も 理解し認めた状態」で、今 あなたの向いている方向↑



目の前にある、 その『道』だからね。



この仕組みを『当たり前のこと』として受け入れられるようになることが望ましいけれど、この世界では頭が柔らかくないと受け入れることが難しい。

そのため、その準備体操として「矛盾」(← ・ →)は 望まれて存在をしている。


望んでいるのは、人間だよ。


『意識の解放』とは、

「ムジュン」を支持することになる「ひとつの方向」に意識を進ませないということ。

「どれか」を、「何か」を、「信じる」という方向ではないんだよ。


≪本質≫ の『あなた』は、「どれ」とも「なに」ともいえない ≪空間≫にいて

そこは『意識の解放』の先にあるんだよ。

無は無意識の無ではなく光

意識の領域を『認識する』ということは、その領域は『空っぽ』ということなんだけど、それは『空白』という意味とは違うよ。

そこに なにも無いわけじゃない。

もちろん目には見えないけれど、そこには純化された≪空間≫が生まれるんだ。


意識を『把握する』ということは、その把握する全ての領域が『無』ということ。

しかし、その『無』は「無意識」の「無」とは違うよ。

意識を『把握する』ということは、その 把握している領域には『光』が行き届いていている状態ということ。


光で照らされた意識領域は『無』となるが、その『無』は「無意識」の「無」ではない。

『無』であるためには、「無意識」の自分を回収していくこと。


「回収」とは、自分を『知る』ということ。


知らなかった自分、もうひとりの自分、思考で自覚している自分とは相反する、思いもよらない自分が「無意識」には存在するもの。


「無意識」のあなたは、『あなた』よりも積極的なの。

あなたが自分の「無意識」を放置していると、「無意識」のあなたは『あなた』の意思を無視して勝手に動き回り、あなたの『意識領域』は「無法地帯」となるのよ。


『無』は『本質』への入口。

しかし「無意識」は「盲目」とおなじ。


「無意識」の自分が回収されていくということは、あなたが「無意識」の自分を『知る』ということ。

もっと踏み込んで言ったら『受け入れる』ということ。


最初はいまいちピンと来ないかもしれない。

だって、その『あなた』は「無自覚のあなた」なのだから。


しかし『まさかの自分』を知るチャンスが訪れたなら、じたばたせずに素直に受け入れてみると

そのうち「無意識のあなた」は、『あなた』に「意識」される。


『意識する』ことは『認識する』ことと おなじ。

すると、そこには光が照らされる。

光で照らされた『意識の領域』は、『無』の空間となる。


その、無の≪空間≫に『ほんとうのあなた』はいるのよ。