〇の姿
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与えるように生きるという言葉には奥行きがあるよ
与えるものにはいくつもの種類がある
物、行為、思い、言葉、意識、、
形のあるものから形のないものまで
意図して“なにか”を与え、交流をしているのが人間で
自分に与えて自分を満たすだけでなく
他に与えることで自らが満たされ、
つねに湧き出る泉を自らの内に宿すために
様々な段階の“与える”を繰り返し、歩みを進めている
与えることは、受けとることなんだよ
与えたら、持っているものが無くなるわけではないんだよ
自分の持っている力に、自らで制限をかけないで
他と比べる視点は、自分の力に制限を与えるよ
それも自分で自分に与えるもので、自らで受けとるもののひとつだよ
他と比べなくていい
自分を大きくみせる必要もなければ
自分を小さな檻に入れる必要もない
自分があたりまえにできることを、ただありのまま表現すればいいんだよ
あなたにできることをやればいい
そして、“与える”にはその先がある
それは意図して与えようとしなくても
ただあなたがそこに存在するだけで現れるもの
その先にあるのは、なにも、意図して、与えない。
ただ光に満たされ、光を放つその姿を現し、ただそこに在ればよい。
しかし、そこに至るには、光を与えて与えて与え尽くし、尽くして尽くして、すべてを与え尽くした先にある
愛をつかい、愛を尽くし、与えて与えて
保身をせず、与え尽くした先にある姿だよ
そこにもいくもの段階がある
それから、この無条件で与え尽くすの意味を物理的な人間社会の常識や価値観に当てはめると違うものになるからね
“自分を使う”という言葉も、自分のあたりまえをあたりまえに表現している者にのみあてはまるもの
他と比べる物差しを持ったまま自分を使えば、不平不満が起きたり、時に身を滅ぼすこともあるからね
今の自分の位置を見誤らないことだよ
“与え尽くす”は、その役を果たす時期にいる人のみにあてはまり
その道を選択した者だから挑む道
これは誰にでも当てはまることではない
可能であるならすべてがそこへ向かえば良いが、それは難しい
そこに至るには“与え尽くす”を越えていく。
執着のない空(くう)に至る。
“与える”は、“還す”と同じこと。
一点の自分以外のすべてを、はじまりの位置へお返しする。
0
その姿が周囲に“与える”ものは、一見では分かりにくいものであるから
ただ見てわかる物で“与える”ということではない
言葉に収まりきらない、それ以上の情報を受け取ってほしい
気付く者は、なにも意図して与えずとも自然と0の元に集まり、そこに実る果実を自ら手に取り食べるだろう
喜びとともに
そして光は循環し途切れることなく巡る
ただそこに在る“〇の姿”とはそういうもの。
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