真っ白
流れが「分かれた」の意味で使っているY字は、V字じゃなくてY字なのには理由があるよ。流れにはいつも救いの手が残されているから。過去の記憶に引っ張られて流されていったとしても、気付がついたら自力で道を戻り流れを変えることができるよう、元の道と分岐点が残されているからY字なの。V字だと流れを切り替えるときに難儀する。
今回はいつもより決定的な分離だったけど、それでも流れには愛がある。今までもそうだったよ、糸は突然切れることはない。切れているようで、か細くどこまでも可能性は残されている。それは、すべての魂を抱き、ひとしく見守る流れの愛なんだよ。
流れが進む毎に荷物はひとつずつ無くなっていってる。その中でも始まりの一点に触れた後の流れで手放された荷物の量は、最大級だったよ。
流れの先端に触れるということは、“すべての荷を背負う“ ということなんだよ。でもね、先端に触れたら重さは無くなるの。重いのはそれまでの間。地球に生きる人類の、フラクタルな意識構造のはじまりの位置を背負って今人間やっている人もいるってこと。
その構造もフラクタルだから、人類みなが地球上で “あなたが中心“ の状態で生きているんだけど、
今、地球を中心にした「起承転結」のひとつのテーマを基にした流れの中で「結」の時期にあり、起承転結の「起」の位置に魂の由縁があるものは、これからの結末を見届けなくてはならない。
ぜんぶ自分のことだから。
ここを越えると、その先は全く新しく創造が必要な世界になる。
『 “これから“ に あなたは何を望みますか 』
それがとても重要になる。
しかし “望み“ というものは前のめりで求めたり、掲げるものではないんだよ。
自分が空っぽであること、空白の自分であることが、“真の創造“ のために必要なもの。
ね、ここでも矛盾があるね。
真の前進は、強烈な矛盾が存在するところにある。
その強烈な矛盾が、意識の広がりによってまるっとひとつに統合されるよ。
それが 多極の統合なんだよ。