肩のちからを抜いてみよう
この世界ってふしぎなもので、同時に矛盾の方向に進みながら前進してるんだよね
だから、同時に矛盾を感じる瞬間にこそ『前進』の突破口があるんだよ
意識が外に向くということは、同時に内側に向いているということ
だいたいみんな最初は気付かないけど
だから、自分の周囲にいる意識の存在に気付くということは、自分の内側に光を当てて自分を知るということでもあり
自分が意識を外側に解放させていけばいくだけ、それは自分の内側に『在るもの』だということに気付く
気づいたとき、外側に求めてきた『光』や『神』という存在は、自分の内側に在り、自分が世界そのものであるということに気付く。
今は、その気付きを府に落ちてワカルに至る人間の数が増えてくる時期だと思うんだよ。
そろそろ自分のパターンから一歩踏み出してみませんか。
ああ、そうか、、
踏み出すという言葉がハードル高く感じるのかな。
なにも頑張らなくていいんだよ。
むしろ、頑張っていたのは今までの自分の方なのさ。それに気付くよ。
でも、気付く前のあなたは、その気付きを得たくないと思っている。
人間て、自分の内なる「理想」を追い求めて「それ以外」の世界を排除していくんだよ。無意識でみんなやってる。
自分の好きなものや、望みを満たすための選択をすることの何がいけないの?と思うとおもうけど、理想を追い求めているうちは「それ以外」の世界を排除していることになるんだよ。
それも必要な過程だから、何が良い悪いのはなしじゃない。
でもそのことに気付く瞬間があって、
目に見えて分かる現象の世界で、自分の「こだわり」を貫いても うまくいかない現実に直面したとき。
そこではじめて立ち止まって、うまくいかない現実に傷付き、今までの自分の理想を「あきらめる」
この場合の「あきらめる」は、ネガティブな意味じゃないよ
あきらめた瞬間に、今までの自分の視点から解放される。
解放されると、視野が拡がる。
今まで受け入れられなかったものが受け入れられるようになるし、分からなかったことが府に落ちてワカルようになる。その世界には、自分だけじゃなく「誰か」や「何か」がちゃんといるんだよ。
自分以外のいろいろを認め、受け入れられているから、自分のことがよく見えてくるし、分かるようになるんだよ。
なんでもそう、
こだわりを手放した瞬間に道は開ける。こだわりってエゴだから。自分ひとりだけの理想郷なんだよ。そこには、誰もいない。
自分だけがひとり立っている、
おかあさんから切り離された ひとりぽっちの僕の世界。
人間が、
「あたりまえ」と思うほど単純なことに気付けないでいる理由は、このパターンの中でずっと繰り返している「こだわり」があるから。
これから、上下も、左右も、前後も、この世界の常識や、思考に支配された「あたりまえ」という価値観が取り払われていくからね。
自分が見ているもの、知っていることなんて、正しいかどうかなんて分からないんだよ
ただ、今までそれを当たり前に見てきたから常識として正しいと認識しているだけのこと。
「誰」が言っていることだから正しい、なんていう宗教はもうやめにしよう。
情報は、自分を軸に、自分を信頼して生きていくための「材料」だと思うとちょうどいい塩梅。