ここのこの連絡網

そっ...と、言葉を置いていきます。( Don't think.. feel. )

にっぽんの脱皮

 

 

 

地球の歴史や、宇宙を舞台にしたお話、形のない世界のことは、西洋の価値観を主体にして表現されているものが多いように感じるけど、そろそろ日本を封じる膜を脱ぐ時期に来ているのでは。


日本語の言葉の響きの中に宿る多次元的な情報を、人類共通の言語として理解することの可能な時期に来ているのではないかな。


この場所(日本のある場所)は、地球の外側から内部に介入するために最も遮るものの少ない開かれた場所だったんだよ。外側から純度を保ったまま来やすかったの。これは地球に膜が出来た後の話だよ。人間の基になってる始まりの意識体であるアメーバの性質、それと同じ要素を持ったものが地球に被さっていた灰色の膜のこと。(その膜はもう無くなっているよ)ついでに言うと、その灰色の膜は長い間 人間の意識を塞いできたものでもあるんだよ。


これまでの ”流れ” の中で開かれてきたたくさんの情報があるけど、それを補填するための、次の “層“ にある情報が開かれていく気配をここ最近感じるんだ。

より純粋な意識を持つ人達が、起きてきたからだよ。


みんなの意識の準備が整うと、次の扉が開いていくんだよ。


平たいものが立体的に造形されていく。


最も大切なものは奥にあるし、一番最後に姿を現すもの。


『でも そこに辿り着くと視点は反転するよ』


最も大切なものは “ここ“ にあり、いつも共に在ったもの、ということなんだ。


どうか、そのままの素直なあなたでいてね。

こわい!でも、だからこそ進もう

 

 



”痛み” を恐がり、”痛み” を避けることが、遅延のひとつの要因になっています。


”痛み” から逃げることに慣れてしまうと、

人間らしい豊かな感情に鈍くなり、

意識が眠るため、支配されやすい人間になってしまうよ。


”ほんとうの自分” を取り戻すことって、痛いし、辛いし、苦しいものなんだよね。


形ある世界で人間として生きるということは、様々な刺激を体験できるということ。


(憶えていないとおもうけど)

あなたは『あなた』という設定を自ら望み、選択して生まれてきたのに、いざ衝撃を体験すると怯んでしまうほど ”現実” は強烈な実感を伴う刺激的な世界なんだよね。


でもね、「こわい!」と急ブレーキかけるくらいの衝撃を、味わい尽くして自分を越えてほしいなあ、とおもう。


「こわい!」と感じるのは、なにもネガティブなことだけじゃないんだよ。


あなた史上、最大最強の「おそれ」に向き合う舞台は、『魂の課題を乗り越える瞬間』なんだよ。


それが ”何か?” というと、魂の「望み」 を両手を広げて受け入れることを、自らに ”許可” する瞬間だよ。


その ”瞬間” が、最も怯み「おそれ」を抱くんだ。


頭で考えると「望みを手にする瞬間なんだから恐れなんて抱くはずない」と思うかもしれないけど、魂の深層部、最も深く、始まりに位置するものにあなたが触れようとする時、(これ以上触れたくない)という都合の悪い感覚と、目を背けたくなる「おそれ」を感じるものなんだよ。


長い、長い、魂の歴史の ”すべての記憶” が望んできたものなのに、それを手にすることから寸前で逃げてしまう。


”この現実” からの移行となる、最後の扉を開くための鍵を手にしたまま、扉の前で立ち止まってしまうんだよ。


”この現実” は、”痛み” を悪いものとして扱い、人々から ”痛み” を遠ざけ、取り除こうとしてきた。それは優しさと善意からでもあるけど、それだけではない作用があることにも気付かないとね。


”この現実” は、現実から→無意識をターゲットにした「目覚めさせないための仕掛け」が至るところにあるんだよ。


”この現実” の仕掛けは確信犯。

このことにみんなが気付かないと、いつまでも延長するよ。


意識の世界側からの視点では、「痛み」は ”この現実” に新たなものを生み出す、次元を越えたエネルギーの交流を行う扉のようなものなんだよ。人間の意識を扉として、”痛み” が多次元をここに繋げるんだよ。


”この現実” では、人間からエネルギーを集めるために ”痛み” を利用してきたよ。”痛み” とひとくくりにしているけど、その言葉の中にはありとあらゆる負の意識が含まれている。”この現実” の意識が言うには、人間の ”痛み” は「とっても美味しくて価値がある」からだって。


人間の自主自立のためには、自分の ”痛み” は責任もって引き受けていかないとね。”痛み” を恐れていると、眠りから醒めなくなってしまうよ。


そんなに価値のある ”痛み” を ”この現実が” 取り除いていく方向に進んできたのは、これまた誤魔化しで

表面的には取り除いて楽になっているかのようでありながら、実際には人間の意識は眠らされているんだ。


”痛み” を恐れて取り除けば取り除くほど、どんどん眠りが深くなっていき、人間の意識は捕らえられ、”この現実” に都合良く使われていく。


”この現実” から移行できないように「仕掛けられているもの」の正体に気付いていこう。


何を選択しても自由だけど、無意識を意識することからすべては始まる。

今はどの現実か

 

 

 




「今」って、時間のことだと思ってる?


今何時?なら、時間のことだけど

今どこ?なら、場所のことを指している。


「今」ってなんだろうね?


自分が生きている場所や空間、瞬間のこと?


「今」が最も重要な ”位置” というのは確かだし、

「今を生きる」という言葉は、ほんとうのことでもある。


でもその言葉は、実は、誤魔化しでもあるんだよ。


誰しも「今」を生きているし、

「今」があるから、

その「今」が『未来』に繋がっているんだけど、


今は、1秒、

今は、1分、

今は、1時間、

今は、今日1日、


わたしは「意識の世界」と、

ひとくくりにして表現をしているけど、


長い間、意識の世界の ”設定” では


”この現実” の時間は、ぐるぐると同じところをループさせられて来ていたんだよ。


確かに時は進んでいるし、年齢も重ねているから、月日が過ぎていく感覚は誰もが共通して認識していたと思うけど、


人間には、毎日を生きている感覚だけを与え、


適度な報酬と、娯楽を与え、


生きている実感は、”重たいもの” がその多くを占めており、


”喜び” は、長く手にしていられない一瞬の輝きのようなものとしてあった。



その向こう側にある『ほんとうの現実』の ”仕組み” だけを利用して、その手前、2層目に「この現実」が作られていたんだ。


その2層目の ”現実” はとてもよく出来ていて、気付く者も少なかったし、その世界が今より完璧だった頃は、 ”気付き” は ”死” を意味していたよ。


2層目の ”この現実” の価値観では、

”命” を生きてさえいれば、”今を生きている” ことにはなるのだけど、


真の意味で ”今を生きている” 人は少ない。



これから向かう方向は

”この現実” は人々の気付きによって ”形” を維持できなくなり、消えていくことになっている。

役割を終える ”枠” 、クッキーの型のようなもの。


わたしは ”この現実” から人々の意識を解き放つ方向へ流れを見つめ、寄り添ってきた。


”この現実” は枠があるんだけど、その枠以外の ”すべて” の空間が、それぞれの魂が望む『ほんとうの現実』なんだよ。


”この現実” は、人々に、そのことに気付いてほしくないし、”ここ” から移行してもらいたくない。

そのせいで延長と遅延を繰り返している。

また、人々の意識も後ろ向きが多数で、それに協力をしてきている。


これらは自覚のない意識、

無意識の領域で起きていること。


消えちゃった記事、

機会があればまた向き合うよ。


わたしは人間の可能性をあきらめないよ。