ここのこの連絡網

そっ...と、言葉を置いていきます。( Don't think.. feel. )

次元↑昇の言葉を解く(単純版)

 

 

 


次元上昇という言葉について。

その言葉の示す “方向“ や “意味“ の方に、前のめりになって「取り組むもの」という風に感じているのかな。


その状態だと、いつまでも次元上昇を「目指すこと」が目的になって、今の自分に気付けなくなっちゃうよ。


これから益々、光と闇は融合して同じ方向に向かっていくから、外側ばかりに焦点を合わせていると分かりにくいと思うんだけど、光と闇が色違いになりハッキリと二手に別れているのではなくて、微細な粒子となって融合しているような在り方なので、これからの 「選択」 は、捉える側の認識可能な「意識の範囲」にかかってくるよ。


次元上昇って、今までと何ら変わりなく、そこに「在るもの」に対しての『認識の幅を広げる』ということなんだよ。


例えば、目の前にパンがあるとして

多くの人は、どれも形が同じであれば、食パンなら食パン、あんパンならあんパン、として認識している。

でも実際には、使われている材料が違ったり、分量が違ったりするわけで、

それを更に細かく見ていくと、

素材の質や、それが作られている環境、

更に細かく見ていくと、

素材ひとつずつに携わる人々や作り手の意識や心身の状態、

それらすべてを合わせて作られたパンのエネルギーの質、

そのエネルギーの質が今の自分に合っているのかどうか、


そういった情報がそのパンには含まれているわけだけど、それらを無意識の中に放置せずに “意識する“ という範囲に取り込むことが大切なんだよ。


これらの細かい情報は、あなたがふと “パンを手に取る“ という無意識の行為の中に含まれている情報だけど、次元上昇っていうのはそういうことに気付くこと。


自分を取り囲む世界に対して、認識できる範囲をもっと細かく、深く、拡大させて、奥行きを知る、というその視点を持って、「今までの世界を見る」ということだよ。


但し、ここでも『知る』ことは学問のように前のめりになることじゃなく、大草原で大の字になって空を見上げる感覚であることが大切だよ。風の音や、その肌触り、草花や、土の香り、木の葉の擦れ合う音、鳥の声、そこに “在るもの“ を全身で感じながら、目の前をゆ~っくり流れていく雲をぼ~っと眺めているような感覚だよ。


目を閉じてもいいね、そこに在る『すべて』と溶け合い一体となる感覚のことなんだよ。


その環境にある『すべて』を、

「見よう」 とするんじゃなく、感じて、味わうこと。



始まりは興味関心の渦の中にいると思うけど、

前のめりになると、視点が限定的になってしまうんだ。

もしかしたら、あなたはもう目指してきた次元上昇という位置に来ているのに、そのことに気付かず、いつまでも次元上昇にこだわってしまっているのかもしれないよ。


たくさんの情報を、前のめりになって収集してきた方々。

その情報は、あなたに “枠“ を与えていませんか。

自分を解放してみてほしい。


でも、“ いや、まだまだ情報が足りない “ と思うなら、その選択も無限の可能性のひとつ。


自分を信じることができるまで答えを探しているけれど、自分を信じるための答えは、いくら探しても外にはないんだよ。


自分の内から外を見る視点を持ち、自分の“認識の範囲“を広げること、そして“自ら気付く“こと。


教えてもらって“気付く“ことも“気付き“に含まれるけど、「気付き」に範囲はないんだよ。あなたの魂にひとつのテーマがあるとして、そのテーマに関しての “気付き“ には終わりがないと思っていた方が良いよ。同じことなのに、分かっているはずなのに、何度も気付きはやってくる。その繰り返しの度に、そのテーマはあなたの魂の原点へ向かっていることに、また気付くとおもう。

その気付きはどんどん形を無くし、微細な粒子の集合体のように感じるもの。


教えてもらって“気付く“ことなんて、意識の中に目印がついたくらいのこと。独自の体験の中で自主的に発生する“気付き“は、まさに「発見!」で、衝撃はあっても、風が通り抜けていくような清々しさを感じるもの。


それは、あなたにとって完全に「無い」とされてきた空間に、風が先頭をきって通り抜けていくからで、その風を感じてあなたはそこに未知の世界があったことを知る。それが「気付き」で、次元上昇という言葉の意味を噛み砕くとそういうこと。


今起きている変化ってね、いままで平面で認識してきたものを、奥行きを持って立体的に認識できるように、全体の方向性を導いていくための転換期で、その立体的な認識を、更に「微細な粒子の構造で成り立つもの」という風に理解を広げていくためのものなんだよ。


ひとつの大きなものを、細かくして見る視点を持つこと。


だから、あなたが普段何の意識もせず『あたりまえ』のように行っている行為の、ほんとうの姿に気付くことが大切だよ。



ここで何度も話してきたことだけど、『言葉は行動』で、言葉は、その言葉を発する以前に“意識“があり(ここは通常、無意識とされる領域となる)その“意識“が意図することを(無意識で)受け取ったあなたが、言葉にして発している。言葉は、言葉になった時点で、“意識“という形のないものの“現れ“であり、それが『言葉が行動』という意味なのだけど、


次元上昇は、いままで無意識で行っていたことを意識し、認識するということなので、


な~んだ、そんなこと、


単純でつまらない。


と感じたかもしれないけど、何も変わらない日常の風景に豊かさや奥深さを感じるようになって、まるで日常が脱皮をしたかのように鮮やかに見えてくるよ。


その変化はあなたにしか分からないもの。


だから、行動の前に存在する、自分の『意識』に気付くこと。

その無意識だった意識も含めて、自分なんだという認識の範囲を広げること。


もともと、あなたの意識には範囲なんてなく

『すべて』なんだからね。


この世界の『すべて』はあなたの意識の現れ。


無意識が多いほど、

目に見える形で現れた「もの/現象」に対する拒絶感や抵抗感や反発心が強く、それと対峙し、戦おうとする。


僅かでもその様な感覚が芽生えたなら、ここでの話は受け入れがたいものとなる。


その場合は無理せず、いま自分の居る位置から心地よく耳を傾けられるものに接していくと良いとおもう。

どこからでも『気付き』の扉は用意されているし、順番も、速度も、それぞれで良いのだから。


不思議な話や、にわかに信じ難い話など、そういうものにどんどん触れてみるといいよ。あなたが興味を持つこと、耳を傾けられる話は、あなたに縁のあるものだから、あなたを必要な場所へ案内してくれると思う。

透明な子供たちへ

 

 

 

2021.5.20


我々は「ただそこに在る」者として存在することに長けている。

まるで空気、空間のように。


それは「透明」だから。


空間に溢れるすべての色や、どんな流れにも柔軟に身を任せ、委ねるように存在することにとても長けている。


“透明さん“ が、自分が分からなくなるのは、これまで物質を主体とした時代だったから。


これからの “意識が主体“ の時代では、“透明さん“ は自分の性質を周囲に伝え、自分を広げていくことができる。


たとえば、青色さんが “透明さん“ の近くに現れると、今までの “透明さん“ は自分も青色に変わってしまい、その色に染まってしまう。次々と様々な色に影響を受け、自分が何であったか分からなくなり途方に暮れていた。


これからは、あなたの “透明“ は自覚とともに確実なものとなり、その “透明“ を周囲へ広げていくことができるようになる。


たとえば青色さんを、“透明感のある青色さん“ に変化させることができるようになるんだ。


意識が主体の世界では、“透明さん“ が生き生きと活躍することができるんだよ。






我々は『望む』ことが難しい


「望み」という言葉は、多くの人が存在を認める “形あるもの“  “分かるもの“ に向けられているから


だから、“透明さん“ は『いのり』という言葉に共感をする


これからの新しい時代

意識が主体の世界で現実を人間として生きていくため


“透明さん“ は『いのり』を『意図すること』がとても大切だよ


ふわふわと漂う曖昧な自分じゃなく


『じぶん』をしっかり自覚して、あなたから始まるすべてを『意図』していくこと。






『透明さん』たちの『自己実現』が、これからの世界にはとても重要な役割を持っているよ。





というわけで、ただ漂うように流れ任せに存在するのではなく、我々も『意図して』活動していきましょう。この号令は、とても大きな作用をもたらすと思います。




物事が、なかなか形にならないのは、“透明さん“ の性質だから。


それを自覚できたなら、前に進むため『意図』していきましょう。





我々は、お互い “透明さん“ の実家のような役割だから、実家が定まらないようでは子供たちがさ迷います

よ。





これまでは、「現実」という牢屋のような “枠“ を打ち砕くための流れでした。

「現実」が『意識』を受け入れられるようにするために。


その流れはうまく進んでいる。


そろそろ『わたし』の番。


わたし『意識』も、あなた「現実」に対し拒絶していたことがあるんです。


これより『意識』は「現実」を受け入れていきます。


『わたし』は「あなた」を受け入れていきます。

振動は赤い糸

 

 

 

この世界の「目に見えないもの」は、周波数で対処することができるよね。


その対処の結果、「目に見えるもの」は変化する。


波動を変えれば、存在するもの自体の性質を変えることができるんだよ。


この世界に存在する ”目に見えないもの” も含めた「すべて」の ”存在するもの” は、周波数を発している。

周知の通り、それが真実だから、


”目に見えないもの” は周波数 “そのもの“ で、


“存在すること“ が = 周波数を “発する“ことで、


「発信」されたものは「受信」されることで、初めてその存在を認められる。


周波数は、命の『存在証明』


その “振動“ は、『わたしはここにいるよーっ』と言っている。


一般的に良くないとされる周波数が優勢な場では、意識に浮かぶ情報もモヤモヤさせる負の感情が中心となり、良くないものを関知しやすい。


人間の意識は周波数の調整機みたいなもので、この世界に対して何よりも強い「司令塔」としての力を持っている。


人間てね、常に環境から影響を受けていて、そのことに無自覚だと、無意識でネガティブな方(重たい方)に偏りやすく、また自力で調整することが難しい。


でもね、純度の高い澄んだ周波数の影響を受けると、コロリと調律される素直な存在でもある。


そして、一度強く調整されると、その情報が意識に記憶されて 認識可能な範囲が広がるため、その “位置“ に戻って来やすくなるんだよ。



しかし、

また変化してしまう。


人間は日和見的な存在でもある。


その繰り返しの中で不要なものが取り除かれ、純粋に近付いていくよ。



人によって調整後の持続力は様々だけど、調整の効果の程は、元々その人が持つ意識の状態に左右される。


それが、 “意識の調整“ が最も重要なことである理由のひとつ。



”人” にもそれぞれに周波数があるのですが、そのことに関係したある出来事をお話しするね。


ある日、ある方が、数ある中から時間をかけて選んだものがあり、それが傷ついたものばかりだったの。ひとつやふたつならまだしも、なぜ?と思うほど多かったので、あまりに不憫に思い、こっそりと幾つか綺麗なものに変えようとしたところ、


『それ意味無いよ』と。


その理由は、

その方の持つ振動、周波数に合ったものを自ら選んだ結果なので、良かれと思い綺麗なものに変えたとしても、結局は早々に傷ものになるだけで、


ご本人は ”傷ものになる” というショックな出来事に遭遇することになるだけだから、そのままにしておいた方がいい、ということだった。


この方は、自らに合ったものを選択した。ありのままの今の自分を受け入れており、自分に対しての “見方“ がとても素直な方だということで、その点は大きく評価されていたよ。ご本人からすればそれは ”無意識” でのことなのですが、その ”無意識” の姿勢は、魂の歴史から滲み出る経験値によるものでした。



真に望みを得たければ、

“すべて“ に “委ねよ“ ということです。


この、“すべて“ ←の認識範囲は人それぞれです。


認識できていること以外は存在していないからです。


だから『無意識を意識すること』が “すべて“ の始まりとなります。



振動、周波数、波動の高いものが良い、素晴らしい、と思いがちですが、もちろん良いものの方が良いのは確かですが、


自分の周波数に見合わないものを得たとしても、結局は失うことになったり、真価に触れることが出来なかったりするわけです。


それ以前に、「今の自分を認める」ことの方が魂にっては重要なことなんですよね。それこそが自分を高めることにつながるからです。


”この現実” 世界では、 「より良いもの」を ”選ぶ自由” がありますが、


その裏では “周波数“ が真の相性を結んでいて、


ほんとうの赤い糸は『ありのままの自分を愛すること』から結ばれていくもの、というお話でした。