ここのこの連絡網

そっ...と、言葉を置いていきます。( Don't think.. feel. )

無は無意識の無ではなく光

意識の領域を『認識する』ということは、その領域は『空っぽ』ということなんだけど、それは『空白』という意味とは違うよ。

そこに なにも無いわけじゃない。

もちろん目には見えないけれど、そこには純化された≪空間≫が生まれるんだ。


意識を『把握する』ということは、その把握する全ての領域が『無』ということ。

しかし、その『無』は「無意識」の「無」とは違うよ。

意識を『把握する』ということは、その 把握している領域には『光』が行き届いていている状態ということ。


光で照らされた意識領域は『無』となるが、その『無』は「無意識」の「無」ではない。

『無』であるためには、「無意識」の自分を回収していくこと。


「回収」とは、自分を『知る』ということ。


知らなかった自分、もうひとりの自分、思考で自覚している自分とは相反する、思いもよらない自分が「無意識」には存在するもの。


「無意識」のあなたは、『あなた』よりも積極的なの。

あなたが自分の「無意識」を放置していると、「無意識」のあなたは『あなた』の意思を無視して勝手に動き回り、あなたの『意識領域』は「無法地帯」となるのよ。


『無』は『本質』への入口。

しかし「無意識」は「盲目」とおなじ。


「無意識」の自分が回収されていくということは、あなたが「無意識」の自分を『知る』ということ。

もっと踏み込んで言ったら『受け入れる』ということ。


最初はいまいちピンと来ないかもしれない。

だって、その『あなた』は「無自覚のあなた」なのだから。


しかし『まさかの自分』を知るチャンスが訪れたなら、じたばたせずに素直に受け入れてみると

そのうち「無意識のあなた」は、『あなた』に「意識」される。


『意識する』ことは『認識する』ことと おなじ。

すると、そこには光が照らされる。

光で照らされた『意識の領域』は、『無』の空間となる。


その、無の≪空間≫に『ほんとうのあなた』はいるのよ。