ここのこの連絡網

そっ...と、言葉を置いていきます。( Don't think.. feel. )

こわい!でも、だからこそ進もう

 

 



”痛み” を恐がり、”痛み” を避けることが、遅延のひとつの要因になっています。


”痛み” から逃げることに慣れてしまうと、

人間らしい豊かな感情に鈍くなり、

意識が眠るため、支配されやすい人間になってしまうよ。


”ほんとうの自分” を取り戻すことって、痛いし、辛いし、苦しいものなんだよね。


形ある世界で人間として生きるということは、様々な刺激を体験できるということ。


(憶えていないとおもうけど)

あなたは『あなた』という設定を自ら望み、選択して生まれてきたのに、いざ衝撃を体験すると怯んでしまうほど ”現実” は強烈な実感を伴う刺激的な世界なんだよね。


でもね、「こわい!」と急ブレーキかけるくらいの衝撃を、味わい尽くして自分を越えてほしいなあ、とおもう。


「こわい!」と感じるのは、なにもネガティブなことだけじゃないんだよ。


あなた史上、最大最強の「おそれ」に向き合う舞台は、『魂の課題を乗り越える瞬間』なんだよ。


それが ”何か?” というと、魂の「望み」 を両手を広げて受け入れることを、自らに ”許可” する瞬間だよ。


その ”瞬間” が、最も怯み「おそれ」を抱くんだ。


頭で考えると「望みを手にする瞬間なんだから恐れなんて抱くはずない」と思うかもしれないけど、魂の深層部、最も深く、始まりに位置するものにあなたが触れようとする時、(これ以上触れたくない)という都合の悪い感覚と、目を背けたくなる「おそれ」を感じるものなんだよ。


長い、長い、魂の歴史の ”すべての記憶” が望んできたものなのに、それを手にすることから寸前で逃げてしまう。


”この現実” からの移行となる、最後の扉を開くための鍵を手にしたまま、扉の前で立ち止まってしまうんだよ。


”この現実” は、”痛み” を悪いものとして扱い、人々から ”痛み” を遠ざけ、取り除こうとしてきた。それは優しさと善意からでもあるけど、それだけではない作用があることにも気付かないとね。


”この現実” は、現実から→無意識をターゲットにした「目覚めさせないための仕掛け」が至るところにあるんだよ。


”この現実” の仕掛けは確信犯。

このことにみんなが気付かないと、いつまでも延長するよ。


意識の世界側からの視点では、「痛み」は ”この現実” に新たなものを生み出す、次元を越えたエネルギーの交流を行う扉のようなものなんだよ。人間の意識を扉として、”痛み” が多次元をここに繋げるんだよ。


”この現実” では、人間からエネルギーを集めるために ”痛み” を利用してきたよ。”痛み” とひとくくりにしているけど、その言葉の中にはありとあらゆる負の意識が含まれている。”この現実” の意識が言うには、人間の ”痛み” は「とっても美味しくて価値がある」からだって。


人間の自主自立のためには、自分の ”痛み” は責任もって引き受けていかないとね。”痛み” を恐れていると、眠りから醒めなくなってしまうよ。


そんなに価値のある ”痛み” を ”この現実が” 取り除いていく方向に進んできたのは、これまた誤魔化しで

表面的には取り除いて楽になっているかのようでありながら、実際には人間の意識は眠らされているんだ。


”痛み” を恐れて取り除けば取り除くほど、どんどん眠りが深くなっていき、人間の意識は捕らえられ、”この現実” に都合良く使われていく。


”この現実” から移行できないように「仕掛けられているもの」の正体に気付いていこう。


何を選択しても自由だけど、無意識を意識することからすべては始まる。