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そっ...と、言葉を置いていきます。( Don't think.. feel. )

一点の可能性を印す

 

「可能性は無限」と言っているのに、「無駄なものを削ぎ落とした『可能性』」と言うときは『一点の可能性』という表現をしていますが、それに矛盾を感じますか?


それは、現在地より『はるか遠く』にある可能性までは無限の選択肢がありますが、それが『更に』はるか遠く にある場合、目的地は『小さな一点の輝き』であることが、可能性に枠を設けないことになるからです。


「一点の可能性」へ向かう方法は、無限にあります。

最短で向かうのも良いし、迂回をしながらゆっくり向かうのも「許される限り」であれば良いでしょう。

一点の可能性へ向かう道は、レールを敷かれているわけではありません。

『無駄なものを削ぎ落とした』はるか遠くの「可能性」は、「一点」であることが選択肢の幅を広げ、道を柔軟にします。


目的地への『印』は、小さな『点』であることが望ましいです。

小さければ 小さいほどに 良い。


その『点』を得るために 様々な方法がありますが

【 QST KAGA 】も その役割を担います。

はるか遠くの「可能性」へ、『一点』の『印』をつけるのです。

そこへ一度、意識を繋げます。

(あなたの「可能性」とは、「無駄を削ぎ落とした可能性」の意味で説明をするなら『本質のあなた』のことです。)

その体験は その方の意識の世界に、ひとつの『座標』を印します。

その瞬間に自覚があるかどうかは 重要なことではありません。

無自覚の中に『印』は刻まれているものです。


誰がおこなっても「同じ」ではありません。

これは ただのマニュアル化された技術ではないからです。

「誰が行うか」それがとても重要なことです。


必要なとき、必要なことを行える者のところへ、縁のある者が導かれてゆくものです。


これから求められてゆくのは、より漠然とした 曖昧な位置に魂を持つ者たちに、新たな『可能性』を示す窓口です。



彼らは、自らの全体像を この物質次元で写し出せるだけの、制限のない透明な『空間』を求めている。

彼らは、無色透明で 制限のない『空間』を持つ者の元を訪ねてゆくだろう。



その後、現在地から目的地へ向かって、各々が日々の生活の中で経験を積み重ね、『心』を養いながら 歩みを進めていきます。


そして、その一点の可能性に到達しようとするとき、再び、新たな『無限の可能性』が広がっていきます。


あなたは再び「一点の可能性」を探すことになりますが、

でも、それは この人生ではないかもしれませんし、人によって大小様々ですが、人間はこのサイクルを繰り返しているものです。


「一点の可能性」とは、可能性を限定するものではなく、方向を明確にし『前進』を加速させるために必要な『目印』となるものです。