ここのこの連絡網

そっ...と、言葉を置いていきます。( Don't think.. feel. )

ここに無いあなたが本質

『人間』は、一見なにも『無い』とされる≪空間≫に『本質』の自分がいる。

物質として在る肉体の自分を、超微細なマクロの視点で観察してごらん。

そこには、目視することのできない微細な粒子で構成される「最小単位」の『自分』が見えてくる。


果たして その微細な『粒子』を、あなたは『自分』だと認識できるかな。

どれを『自分』と認識しても構わないし、焦点をどこに合わせるのかも自由。


あなたは、どの『自分』を ≪自分≫としたい?


その視点によって確実に変わるのが、あなたを取り囲む『世界』の『在り方』なのよ。


超微細な『粒子』を存在させている≪空間≫があることに気がついたかな。


その≪空間≫こそが、真実を知る最も『尊い』存在なんだ。


あなたが≪本質≫の自分を≪自分≫としたいのなら、その『あなた』へと繋がる情報は、その≪空間≫にある。


その視点に気付いたかな?

すべてがそこに在る自由

『意識の世界は『なんでもあり』の世界』


でも それは、あなたの『好き勝手』『思い通り』に振る舞っても良いという意味の『なんでもあり』のことではないのよ。


『なんでもあり』の意味するところは、あなたの『思考』では『把握』することも『理解』することも難しい構造をしているという意味をポジティブに表現したもの。


その『なんでもあり』の世界に自分を寄り添わせてゆくには、この世界でいうところの「矛盾」を受け入れていくしかないの。


『思考』に「矛盾」を与えて激しく混乱させると、『思考』は立ち止まる。


『思考』は、つじつまを合わせて物事を理解したいし、一方向に向かった解釈ができないと納得はできないし、証明がないと受け入れられない。


しかし、それを繰り返しているうちは『思考』の枠から出ることはできないの。それほどまでに あなたたちの『思考』は、 『現実の価値観』や『自分のルール』に縛られている。



そもそも それが「ムジュン」だなんて、いったい 誰が決めたのかしら?



わたしたちの世界では、それが普通のことなのに。

「ムジュン」は、常に『同時』に『存在するもの』なのよ。

それを「ムジュン」という言葉で解釈するのは もう、卒業しなきゃ。


だってそれは「ムジュン」なのではなく、ただ『すべてがそこに在る』だけなのよ。


その『すべて』が『存在する自由』を、あなたの価値観でジャッジしてはいけないのよ。


「ムジュン」は、単にあなたたちの『思考』が受け入れ難いことに対して抱くもの。あなたたちの視点から生まれた独自の概念。



自らの自由を縛っているだけなのに、いつまでもそれが手放せずにいるだけなのよ。



『すべてがそこに在る自由』を「矛盾」としないために、段階を経てあなたたちは人生を通して様々な「ムジュン」を味わってゆく。


それがとても辛く『葛藤』があることも理解している。


でも安心して

あなたが「ムジュン」を感じた瞬間、意識の『解放』は始まっている。


『意識の前進』は「矛盾」を越えた先にあるのよ。

光の器

真に、

周囲へ『光』を伝え、循環させてゆくことのできる光の種を持つ者は、枯れることのない光の『源泉』を自らの真ん中に持つ者。


どこからか注がれる『光』を自らの器に受け入る者は、器から溢れた光を周囲に分け与えることで、光の『源泉』を得るための学びの過程にある者。


また、

溢れた光を自らの器に戻す者は、まだそこに至らず、自らの餓えを恐れて「満たす」こと のみに勤しむ者。


なにが正しいわけでも、勝るわけでもない。

それぞれが人の「在り方」なのだから。

その過程で魂は学びを得ている。