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そっ...と、言葉を置いていきます。( Don't think.. feel. )

言葉の在処

 

 

 


言葉が発せられる以前に自分の中に在る『意識』というものを自覚したことはありますか。


その意識は、無意識である場合がほとんどですが、言葉が言霊といわれ、言葉に力があるとされるのは、言葉として発せられる以前の『意識』にこの世界の真実があり最も力があるからです。


あなたが言葉を発するとき、その言葉の元となっているのはどの様な意識の層から繋がる『意識』でしょうか。



その『意識』によって発せられた言葉が、あなたの現実への注文となります。言葉は、現実に姿を現した実体のある「行動」となります。


実体のない意識の世界からいえば、言葉は既に「結果」です。重要なのは、言葉になる以前の意識の在処です。



その意識の在処を重視してください。



その意識に触れていくことは、この世界が『すべてはひとつ』であることを実感していくためにもとても重要なことです。



あなたの「肉体」は、実体のない(空間や)(意識の)『すべて』を現象の世界で形にするための通過点のようなものです。


『すべてとひとつ』という自覚を妨害しているのは、肉体に重きをおき、肉体とそれに取り囲まれた現実に意識が囚われているからです。現実は、結果です。その結果にばかり囚われていては現実は平行線のままです。


いいですか、言葉になる以前の意識の出処に注意してください。


現実の形成は、その意識から始まっています。



QSTkagaで行われるセッションは、言葉になる以前の言葉の出処となる『意識』に本人の意識を近付けて直接触れる体験となるので、そこで体験したことは、なるべく言葉に出しておくことがとても重要なことです。


一度、意識を繋げて『型』を作るようなものです。


これは自分の無意識を意識することになり、自分の呼吸に意識を向ける瞑想にも似ています。自分という存在を隅々まで自覚することが、自分とすべては一体であることを実感するためには、まずとても重要なことです。




あなたにとって最も大切なことは、とても『単純』で、あまりに単純過ぎるために軽視してしまうようなところに在るものです。


その単純な一つひとつに意識を向けていく挑戦をしてみてください。




それは、知識や情報を得る学問の世界にはありません。学問は、意識の「探求」であり、意識の「収縮」です。ギュー・・・ッと意識を一点に向けて収縮し、集中させていくことが学問です。


知りたいから探求し、分析し、分かろうとします。

その性質から、学問は既に枠を持っています。専門性という枠です。知りたい!と意識した瞬間に、意識に枠を持たせます。強く意識すればするほど枠を設けて視点は限定的になり、その枠内を追求していきます。



しかし、知識を得る過程もまったく無駄ということではなく、それぞれは必要な過程を、自らの望みに従い進んでいます。

知りたいことがあるから、物事を別けて分かろうとするのが人間というものです。


大切なことは、学問で知り得たことをそのまま自分の「答え」とせずに、『材料』として受け取り


『あなた』という持って生まれたオリジナルの素材と共に、あなたの現実の世界で練り合わせ、学問を越えた先にある『あなたの中』から生まれる真の答えを見つけることです。


それは、夜空をただ ボーー・・ッと見上げるような感覚でいる瞬間にこそ『ワカル』ものです。


たとえば、

宇宙を知ろうと宇宙を探求し、どんなに遠くまで観察できたとしても、宇宙の活動を科学的に細かく分析できたとしても、それを学問としているうちは人間側のフィルター越しにしか見ていない。

片側からしか見ていないということ。


そこには、もう片方の未知なる空間側からの視点があります。その視点を無視したままでは、真の『ワカル』には至れません。


形のない世界をほんとうに知りたければ、前のめりになっていては、ほんとうの姿は見えてこない。

こだわりや執着を手放した瞬間に、今まで見ようとしても見えなかった世界が向こうから近付いてくるよ。


それは、とても『単純』なことである場合が多い。

今まで気付かなかったことに、ふと気付くことだったり、新たな視点が芽生えたり。

人間は、自分の見ている世界をすべて見ているようで、いくつものフィルター越しに見ているものを「世界」としている。


そろそろ、そのことに気付かないとね。